私、線維筋痛症と生きてます。

14歳頃から線維筋痛症を発病し、試行錯誤しながら暮らしています。些細なことも真面目な事も、馬鹿みたいにくだらない事も根暗なことも、心の声を流していきます。。

はじめまして。真面目なちょっと変な人です。

はじめまして、みずのえと申します。

つーかお前誰だよ?Σ(゚Д゚ノ)エッ

って話なので、ワタクシ自身のご紹介?生い立ち?を説明致します。

私は現在未婚のシングルマザーで、線維筋痛症を14-15歳頃から発症しています。

診断が下るまで数年かかりました。

治療を受けれるようになるまでも、そこから数年かかりました。

 

色々な病院・色々な科に行き、様々な治療をして医師たちは口を揃えて

PTSD・トラウマが原因だと仰りました。

 

心当たりはとてもあり、幼少期から虐待があり毒兄弟からも酷い仕打ちをうけていましたし、生育環境としても自宅のほかに親戚の家A・Bのうちで暮らしていました。

正直本当に誰を親と呼べるのか、誰を兄弟と呼べるのか、親戚の家A・Bの身内を足して考えても、私の中には答えはありません。

 

片親はもう10数年前に亡くなりましたが、その時に初めて親の友人たちから「いつも自慢げに話していたのは貴女の事だった」「ほかの兄弟の話より、いつも貴女の話ばかりで貴女の事を一番愛しているようだった」と葬儀の時、初めて聞かされました。

それからは、自分への仕打ちも本人も止めることが出来なく、非常に苦しんだだろうと許せるようになりましたが、されたことへの傷は癒えません。

 

えっ?じゃあもう一人の親は…?

もう一人の親は一時期は、表面的には大変良い親を演じてくれました。一時は唯一の心の拠り所でした。

ですがそれは勘違いでした。

助けを求めても、何も助けてはくれず、電話もかけてくるなと助けを求めることも許されなくなりました。子供の頃の私にとってこれは絶望でした。

そういった経緯もあり親戚Aのうち・親戚Bのうちと回って暮らしていたのです。

そうして片親が亡くなり、もちろんその時点でもまだ未成年の子供がいるわけですが、

生き残った親は「自分が仕事をしながら遊ぶから帰らない」「金は置いてくから全てお前の責任でなんとかしろ」ネグレクトという暴挙に出ました。

 

私が大人になってからもこの毒家族・毒親戚たちは、子供の頃の虐待の延長を絶えず実行してきます。

あ~もう書いてるだけで思い出して涙が止まらない…

 

そして私は昨年末に意を決し、とある方に事情を話し御助力して頂き、

住まいを引越し、住民票の閲覧制限を掛け、今やっと私の人生のスタートラインに立つ事が出来ました。

新しい人生を下さったその方には感謝しきれません。

 

これまでの経緯、

これからの歩み、楽しいこと、悲しいこと、自分の思想、物事の考察、

まだまだ立ち向かっていかなければならない壁について書いていけたらいいと思います。

 

思い出したら、涙だけじゃなく、全身鈍器で殴られたみたいに痛くなってきた…

不便な体だぜ…o(TヘTo) くぅ

次回は今回だけでも色んなワードが出てきましたので、線維筋痛症について詳しく記述したいと思います。